はじめに
※※※※※※以下はネタバレを含みます!ご注意ください!※※※※※※
一言でいえば、仕事一筋のエリートサラリーマンの定年後の悲哀。
定年退職後、気力も体力も有り余っている主人公は、退屈を紛らわすため趣味や恋愛を始めてみるも「生きがい」を見出せなかった。
しかし、運命のいたづらなのかIT会社のトップになり充実した毎日を過ごす。
一方で、妻も独自の生きがい(美容室の開業)を見つけていた。
そんななか主人公が経営する会社は、不運にも倒産してしまう。
妻への贖罪の気持ちも持ちつつも、夫婦としては別々に暮らした方が望ましいと考え、自分を必要とする地元で静かに暮らそうとする主人公。
夫婦別々に暮らしながらも緩やかな関係を保つ「卒婚」を暗示する希望のある終わり方。
仕事人間の末路
あえて残酷なことを書く。組織に属する人間は、よほど特別・優秀な人材でない限り、いくらでも替えがきく。同程度の人材がたくさんいるからだ。
(これは当然の帰結と言える。なぜなら個人の才能に依存する組織は、組織としては脆弱と言えるからだ。つまり裏を返せば、組織として完成度が高いほど、個人の才能は埋没する。もちろん業種や規模の違いにより、個人の才能がものをいう組織・部署も存在する。)
高度に発展した社会では、個人の能力を発揮する機会すら稀になる。いや個性自体、不要なのかもしれない。効率化のため機械化・自動化によって人間の作業は減る一方だからだ。
しかし、仕事に「生きがい」を求めてしまう人は多いと思われる。
仕事は、社会との接点もあり、自分の能力を使うことで、新たな価値が生まれるのだ。このような場合は「生きがい」にならない方がおかしい。
ところが、定年を迎えると「生きがい」だった仕事を、強制的に辞めさせられることになる。
この定年という仕組みに上手く乗ることができるか……できなかった人物が本書の主人公なのだ。
文学について
文学は実利から離れているものの典型である。
はっきり言って文学がなくても飯が食えれば生きていける。
だが文学は本当に不要なのだろうか。
主人公は初め文学にはまるで興味がなかったが、文学に触れるにつれその魅力にはまっていく。
共感は生きるうえでの慰めになるのだろう。他の人に思いはせることで、生きる気力に繋がっていくのだ。
実利だけが人間の本質ではなく、感情もまた人間を構成する要素なのだと思う。
自分らしさ
人間は本質的にひとりひとり違う個別具体的な存在である。
生まれた時代も場所も環境も育ち方も絶対的に異なるからだ(たとえ双子であったとしても)。
しかし、いざ「自分って何者なんだろう」と考えてみると非常に難しい(少なくとも私には難しい)。
そのため安易な方法で、自分を枠組みの中に入れ込んでしまうのだろう。
それが、所属する組織だったり趣味だったり仕事だったり、目に見える形のもので自分自身を縛ることになる。
本来なら自分という存在は、もっと複雑で多様なもので成り立っているはずなのに、無理矢理に枠へ押し込むので、おかしなことになるのだ。
外にある枠組みは、あくまで参考程度にとどめるべきであろう。
自分のなかにある混沌としたものを見つめるのは、非常に難しい作業となる。
しかし、過去に歩んできた出来事を丁寧に確認していくことで、自分らしさを発見できるはずだ。
おわりに
本書の主人公は仕事に「生きがい」を求めていたため、定年後に苦しむことになった。
ただ、仕事が「生きがい」になるというのは贅沢な話でもある。
生きるために働かざるを得ない人から見れば、仕事を楽しむ余裕など無い。
問題なのは「どう人生を作り上げていくか」という重要な問いが、日常生活の中で埋もれてしまい、真剣に考える機会を奪われていることだ。
流されるままの人生を否定するわけではない。
しかし、人間として生まれた以上、少しでもより豊かな生き方を望んでも良いのではないだろうか。
私たちは今こそ、本当の豊かさ、つまり自分の価値観なり軸を確認する時間をつくるべきだろう。